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おまけ

おまけのひとり言

借景…。
千年社、千年社クリエイティブは、ビルの2階と3階にある。
窓を開けると、樹々の緑を一年中楽しむことができます。
隣に寺院があるからです。「禅隆寺」臨済宗のお寺です。
立派な山門の前に立ち、門を見上げるとたっぷりとしたゆるやかな書体で「宗興山」と書いた扁額がかかっています。よく見ると扁額の左下に白隠とあります。扁額の字を見てみると、あの有名な達磨の絵の線と似ているな…。

こんなふうに思えてくるから不思議です。
当社のまわりにはとても寺院が多い。東区を抜ける飯田街道と外堀通りの間には特に多いように思います。散歩していると「寺町」と標識が出ているエリアもあります。

お寺の正面左側の部分に黒板や告知ボードがあり、仏典のキーワードや読んでみると「ふーん」と思わず納得してしまうメッセージが掲げてあります。しかし、門をぴしゃっと閉ざし、「ツン」としている寺院がほとんどです。
どんなお寺かと思い、閉ざされた門の隙間から中をのぞいてみると、家族の洗濯物が干してあったりします。あー、これも人間・・・。
ところが、「禅隆寺」はいつも門が開け放たれています。
山門をくぐると左側に灯篭に石臼のような大きな石の上につくばいがあります。
そこにいつも花が投げ入れてあります。「さあ、いらっしゃい。」そういっているようです。毎週投げ込まれている花の種類が違います。通勤途時、今週はどんな花かな。
それだけでも、ちょっとしたお楽しみです。
そういえば、「山村御流」と、木でできた表札が出ています。

山門をくぐる。中に入っていく。さわやかな緊張感が漂っています。どうして…?。
そうじが行き届いていることに気が付きます。ピカピカに磨く清掃ではありません。

植えてある樹々や、枯山水の庭のことを考えながら、毎日毎日ゴミを拾い、掃き清め、風景としての完成度を高めるためのそうじをし続けていることがわかります。
禅宗ですから、こうしたことに重きを置いているのかもしれません。
庭で一人佇んでいるときの静寂感は何ともいえません。

春。
2月、3月、4月。気温が変わり、日差しが変わります。
桜の木があるのですが、さみしそうにしていた桜の木に若葉がつき、つぼみが顔をだす、花が咲きはじめ、気温の変化とともに一気に満開になる。
雨が降り、春の風が吹き、桜がさっと散っていく。会社の隣ですから、毎日毎日みることができます。春イコール桜。美しい日本を代表する花。知識として刷り込まれ、このように自然に反応してしまうのですが、じっくり観察していると何故このようにいわれるようになったのか、理解できるようになります。「なるほど。この美しさなんだな。だから感動を与えるんだ。」ものいわぬ桜の花がうったえかけてきます。実際に桜の花を見、美しさを本当に実感できる。知識として刷り込まれていたことが体感できる。ちょっぴり芸術家になったような気分です。

桜の木の横に紅葉の木があります。
秋。9月10月11月。蝉が終わり、鈴虫になり、過ごしやすくなる。季節の経過とともに桜の葉はどんどん散っていきます。10月の終わりから11月。ある日、一気に冷え込む夜があります。翌日、紅葉の葉が真っ赤です。「あー、この紅か。」秋イコール紅葉。やはり秋を代表する樹木として、千年以上にわたって愛されてきた、感動を与え続けてきたことが実感として体感できます。

だから「もみじ」は「紅葉」なのだ。千年前の人と同じ感動を共有している自分が庭に立っています。大きな石が無造作に配置され、土が盛られ、そこに石橋が掛かっています。川…?
水は流れていません。庭全体が苔に覆われています。作庭の意図などほとんど理解することはできないのですが、庭を半周しながらもの思いにふけるのも一興です。周辺に敷き詰められている苔などを見ると、かなり手間暇をかけているな。と感心したりもします。

臨済宗なのに朱い鳥居の金毘羅さんがあったり、観音さまがあったり。いままで、地域とどんな関わりがあったんだろう…。こんなことを考えても面白いと思います。「尾府名古屋図」宝永6年、1709年頃 写。江戸時代の古地図を見ると、すでに「禅隆寺」の文字がみえます。創建されて300年は経過していることになります。

小社に面接に来られた方、就職はあなたの人生の「一大事」です。面接後、隣のお寺でちょっぴり自分の人生を振り返ってみる…。
デザインに興味のあるインターンシップの学生の方、寺院の庭の美しさや心地よい緊張感。枯山水の庭にひそむ作庭意図やデザイン。こうしたことを感じたほうが、小社で就業体験するより勉強になるかもしれません・・・ネ。

【2106】

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